ブログ小説 整体師 諸星玄丈

一流商社をクビになったぼくは、あてもなく渋谷の街をぶらついていた。そんなとき、ぼくは前田備中と名乗る会社社長と知り合い、前田の仕事を手伝うことになる。仕事は雑誌の編集だという。
思いがけぬ出来事が次々と起き、ぼくの運命はあらぬ方向へと導かれ、やがてぼくは伝説的な整体師・諸星玄丈とその仲間たちと知り合う。だが、玄丈には魔の手が忍び寄っていた。ぼくたちは一致団結して、困難に立ち向かう。
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おしらせ
JUGEMテーマ:連載
 
整体師 諸星玄丈は 完結いたしました。

読者のみなさまにはおつきあいをいただき、たいへんありがとうございました。

途中からお読みいただいた方や、新たに読んでいただく方のため、

来週より第1話から再放送いたします。。

しばらくそうやっている間に、第二作を構想していきますので、またよろしくごひいきにお願いします。

佐藤直曉
| - | 07:48 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈(再)1
JUGEMテーマ:連載
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第一章 玄丈先生との出会い
1 ふぐさしの誘惑(1)

 ぼくが整体師の諸星玄丈《もろぼしげんじょう》先生と初めて出会ったのは、一九九七年三月の末だった。

 それより一ヶ月半ほど前の二月中ごろ、ぼくは仕事を探すために必死で街を歩きまわっていた。だが、気に入った仕事を見つけるのは容易ではなかった。この年は証券会社や銀行が相次ぎ破綻するというたいへんな年だったのである。

 仕事もなく、話し相手もいないぼくは、人恋しくなって、学生時代によく出没した渋谷に出かけてみた。しかし、街はぼくには冷たかった。

 渋谷駅からは、絶え間なく、何千、何万の人間が吐き出されてくる。波のように多くの人間がぼくに向かって押し寄せてくる。けれども、こんなにおおぜいの人間がいるというのに、ぼくは誰も知らない。誰もぼくに声をかけてくれない。そんなことが起こるなんて、いままでどうして信じられただろう。

 広告塔がまたたくころハチ公前広場に一人たたずんでいると、ぼくの身を責めるように冷たい木枯らしが吹きはじめ、風にあおられた新聞紙が足もとにからみついてきた。いくら足を振っても離れようとしない薄汚れた紙は、まるでぼくにつきまとっている不運のように思えてきて、ぼくは泣きたい気持ちになった。

 そんなときである。歳のころなら四十半ば、背は低いが横にがっしりとした男が、ゆっくりと近づいてきて、ぼくに話しかけた。

「おにいさん、今時間はありますか?」

 妙にソフトで甘い声だった。カラオケにでも行ったら、女を横にはべらせ、小金沢昇司の歌でも歌いそうに思えた。

 声は優しいくせに、男の顔はえらくごっい様子で、えらはホームベースのように四角く張り出し、髭はやたらと濃かった。一度見たら絶対忘れられない顔だ。

 いつもの臆病なぼくなら、正体のわからない人間を相手にすることなどありえないのだが、このときは甘い声に誘われて、もう少しで警戒心をときそうになっていた。それに気づいたぼくは、あわてて知らん顔をした。ところが、男は勝手に話をはじめだしたのである。

「編集の仕事を手伝ってほしいんです。そんなに難しい仕事ではありませんよ」

 男はいかにも親切そうな口ぶりで切りだすのであった。

 もっとも、ぼくはまだ迷っていて、口をきくことは避けていた。

 すると、男はまた口を開いた。

「私はこういう者です」

| 第1章1 ふぐさしの誘惑 | 09:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈(再)2
JUGEMテーマ:連載

第一章 玄丈先生との出会い
1 ふぐさしの誘惑(2)

 男は胸ポケットから名刺を取り出してぼくに差し出した。名刺には「明日の企業社」という社名が印刷されており、その下に代表取締役の肩書きと、前田備中《びっちゅう》という名前があった。

 前田と名乗る男は、さらに手にしていた三冊の雑誌をぼくに押しつけるように手渡して言った。

「一緒に仕事をしてくれる人を探しているんですよ」

 妙に愛想のよい声で、商人のようにもみ手をしている。

 だが、聞いたこともない会社の社長と聞いて、ぼくの不安がぬぐわれることはなかった。しかし、そんなことに委細かまわず、前田はつづけるのであった。

「我が社は、著名人と新興企業の社長との対談記事を書いています。その雑誌を読んでみてください」

 そう言われて、ためらいがちに雑誌をぱらぱらめくると、若い経営者と世間でよく知られている有名タレントや著名人との対談記事がいくつも載っている。

「この仕事は、誰でもいいというわけにはいかないんです。なんといっても有力者を相手にするわけですからな。こっちにも知性と教養が必要なんですよ」

 そう言って前田は鼻にかかった声で「ふ、ふ」と小さく笑った。

「でも、どうしてぼくに声をかけたんですか?」

 知性と教養という言葉につい誘われたぼくは、愚かにも口を開いてしまった。もちろん、まだ疑心暗鬼だったから、顔は伏せ、眼を合わせないようにはしていた。

「君に声をかけたのは、このあたりの若者にしては珍しくニューズウィークを手にしていたからです」

 前田は猫なで声で答えた。

「なあんだ」

 ぼくは少々がっかりして、小さく呟いてしまった。

 ぼくがニューズウィークを手にしていたのは事実だが、ベンチに座るときに尻に敷こうと思い、たまたま近くに落ちていたそいつを拾っただけのことなのだ。これではほめられたことになんかならない。

 失望しているぼくの顔色を読んだのか、前田は今度は別の角度からぼくを誘ってきた。

「今すぐ返事というのも無理ですね。そうだ、ぼくはまだ夕飯を食べていないんですよ。よかったら近くで一杯やりませんか。ご馳走しますよ」

 貯金がどんどん目減りしているのが心配で、このところカップラーメンくらいしか食べていなかったぼくは、ご馳走してくれると聞いて、つい顔をあげてしまった。

 このことがあとになってとんでもいない事態を招くことになるのだが、そのときはまだそれを知る由もない。

| 第1章1 ふぐさしの誘惑 | 07:35 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈(再)3
JUGEMテーマ:連載

第一章 玄丈先生との出会い
1 ふぐさしの誘惑(3)

 道玄坂を上がりきるちょっと手前に、小粋な日本料理の店があった。前田はぼくをそこに連れていった。

 一歩その店に足を踏み入れると、そこには数寄屋造り風の空間が広がっていて、ところどころに置かれている石が静かな趣を深めていた。

「あら、マーさん、お久しぶりね。今日は会社の若い人と?」

 中年の女将が前田に声をかけてきた。

「うん、まあな」

 前田は曖昧な顔で答えた。

 女将はぼくたちを和室の個室に案内した。部屋の真ん中には掘りごたつの席があり、床の間には濃い緑の竹筒に紅い椿が一輪さしてあった。

 どこに座ってよいものやらぼくが迷っていると、前田は床の間を背にして座るように促した。

「そこは……」

「まあ、いいじゃないですか。君はぼくのゲストなんだから」

「では、そうさせていただきます」

 あまりぐずぐずしているのも失礼だと思い、ぼくは言われるままにした。

「どっこいしょ」

 前田は横に広い体を揺すりながら、ドサッと大きな音をたてて座った。

「さてと」

 前田は女将に眼を向けて言った。

「とりあえずビールをもらおうか。それから、いつものやつを」

「はい、かしこまりました」

 女将はにっと唇だけで笑って、奥に引っ込んだ。

 すぐにビールとお通しのとらふぐの皮刺しがきた。

「まあ、楽にしてくれ」

 前田はいつの間にか経営者らしい顔つきになっている。

 このとき、真向かいに坐った前田の胃のあたりが大きく前に突き出ているのにぼくは気がついた。そして、胃の出っ張りの上にちょこんと乗っかってでもいるようなネクタイピンが眼に入ってきた。

 おやと思ってよく見ると、それには大粒のダイヤモンドが埋め込んであるのがわかった。しかも、あらためてそういう眼で前田を見ると、シャツの袖口を留めるカフスボタンにもダイヤがセットされているではないか。

 ひょっとしたら、この人はすごい人なのかもしれない、とぼくは思いはじめた。

「ところで、君の名前をまだ聞いていなかったな」

 前田社長はぼくが驚いているのを知ってか知らずか、たずねてきた。


| 第1章1 ふぐさしの誘惑 | 08:35 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈(再)4
JUGEMテーマ:連載

「月田です。月田槙太郎です」

「そうか、月田君か」

「友人は、ぼくのことを、げっしんと呼んでいます。姓の月と名の槙をとって」

「それは語呂がいいね。あだ名のある人は、みんなから好かれている人が多いからなあ。そういう人にこそぼくの会社に来てほしいんだが……」

 社長はしみじみとした顔で言った。

 社長はふぐの皮刺しをいくつか箸につまんで口に放り込んでから、ビールをぐいと呑んだ。そして、さあいよいよ本題に入るぞというつもりなのか、急に姿勢を正した。

「ぼくは三十代の初め――ちょうど君くらいのときに今の会社を創ったんだ。ところで、げっしん君。君は歳はいくつだい?」

「二十九です」

「そうか、いちばん楽しいころだな」

「そうでもないです」

「……ん? そうかい。若いのに」

 社長は出鼻をくじかれ、当惑した表情を見せた。

「いろいろありまして」

 ぼくはあまり触れられたくなかったので、曖昧に答えた。

「まあそれはいいさ。話を戻すが、ぼくは三十そこそこで雑誌社を創った。だが、本はさっぱり売れず、一時は水をすすって生きている状態だった。借金は毎月どんどん膨れ上がり、二千万円を越えそうになってね。もうだめかと思って、会社を整理しようというところまでいった」

 当時の状況を思い出したのだろうか、社長の眼つきはえらく険しくなり、その声はくぐもっていた。もっとも、それはそんなに長くは続かなかった。

「ところがだ」

 社長はさっと顔をあげた。

「ある若い起業家に出会ったとき閃いたんだよ!」

 社長の眼が輝いている。

「はあ」

 社長は妙に高ぶっていたが、ぼくは社長の話がいまいちピンとこなかったため、あいまいに相づちを返すだけだった。

 そんなことにおかまいなく、社長は身を乗り出すようにして、ますます言葉に力を込めて話だした。

「この人物が世に出るのを自分の雑誌で手伝いたい。ぼくは心の底からそう思った。それで、自分のコネを活かして、その起業家をある有名な経営者に引き合わせたんだ。そして、そのときの対談記事を自分の雑誌に掲載したら、それがえらく評判を呼んでね」

「起死回生というわけですか?」

「ああそうだ」

 社長は急に身を引き、重々しくうなずいた。

「それ以来、うちの雑誌は起業を志す人たちから垂涎《すいえん》の的《まと》となっている」

 社長の声には自信がみなぎっている。

「たいしたものですね」

 ぼくがそう言うと、社長は「ふ、ふ」と鼻にかかった声を出した。ぼくには、社長が喜んでいるように聞こえた。


| 第1章1 ふぐさしの誘惑 | 09:06 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈(再)5
JUGEMテーマ:連載

第一章 玄丈先生との出会い
1 ふぐさしの誘惑(5)

 そんな社長の昔話を聞いているうちに、女将が料理を運んできた。それを見て、ぼくは小躍りしそうになった。

「下関直送でございます」

 女将が社長に向かって言った。なぜか女将が社長に目配せしたようにぼくには思えたが、このときはそれ以上気にはしなかった。

「おお、そうかい」

 社長は女将に向かってうなずいてから、ぼくの方に顔を戻してきいた。

「げっしん君。君はふぐは好きかね?」

「はい、大好物です」

「よし、今日は好きなだけやってくれ」

「ありがとうございます」

 喜んでポン酢をつけて口に入れると、どーんと旨みが広がってきた。以前食べたふぐさしとは比べ物にならない。

「これは新鮮で美味いですね」

 思わず顔がほころんだ。

 ぼくは自分でも嫌だと思うのだが、悪い癖があって、美味いものを食うとすぐ値踏みをしてしまうのである。

 これだけのふぐさしだと、一人前で七千円はくだるまい。そんな高価なふぐを初めて会った人間に振る舞うとは、なんて太っ腹な人なんだ。ぼくはいつの間にか社長にすっかり心酔していた。

「ふぐはいいよねえ。刺身になる部分はもちろんだが、皮は湯引きして酒の肴に、ひれは干してひれ酒に、骨のついた身はふぐちりに、そして鍋が終われば雑炊に……。ふぐは無駄になるところがまったくないから、すごいもんだ」

 社長は小鼻をうごめかせている。どうやらこれは彼が自分の知識を自慢したいときに出る癖のようだ。

「またいつもの薀蓄《うんちく》が始まりそうね」

 一緒に聞いていた女将が、にやにやしながら社長にビールをついだ。

「今日はいつものおじいさんたちじゃなくて、若い人と一緒だから嬉しくなってねえ」

「そうよねえ。若い人がいると、それだけで活気づくもの」

 女将が酌をしながら、社長とぼくの顔を見くらべた。

「こちらの方はお若いけど落ち着いていて、素敵な方ねえ。私があと十歳若ければ、放っておかないのに」

「ふん。あんたなんか三十歳若くても相手にされんよ」

「まあ、ひどい言い方。私の歳をいくつだと思っているのかしら」

 女将は口に手を当てて笑った。

| 第1章1 ふぐさしの誘惑 | 09:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈(再)6
JUGEMテーマ:連載

第一章 玄丈先生との出会い
1 ふぐさしの誘惑(6)

「ところでさ」

 社長は思い出したように、女将の顔を見て言った。

「やっぱり、ひれ酒がほしいな」

「はい、はい、わかっておりますよ。じきにまいりますから」

 女将は唇に笑いを浮かべてさがった。

 しばらくすると女将が陶器の皿でぴったり蓋をした湯呑を運んできた。

「おお、きたか、きたか」

 社長は眼を細めながら説明を始めた。

「ひれ酒をつくるにはだな、まずふぐの胸ビレを強火で充分に焼く必要がある。特に、ひれの付け根をよく焼かないと、臭くておいしくないんだよ」

「へえ、結構たいへんなんですね」

「そう。そのひれを、あらかじめ暖めておいた器に入れ、八十度くらいの沸騰寸前の熱い酒を注ぐんだ。そして、すぐに蓋をする。この湯呑は今まさにその状態にある。そうして待っている間に、あぶったひれのだしが燗酒にじっくり溶けだしてくるんだ」

「そうなんですか」

 社長の眼は輝いている。よっぽど話をするのが楽しいんだろうなあ。

「ところがだね――」

 おや、社長がいきなりしかめっ面をした。

「――上の方はどうしても少し生臭みの残ったアルコールになってしまうんだな」

 社長は軽くふうと息を吐いて、また話をつづけた。

「そこでだよ、げっしん君。一、二分おいたら、この蓋をはずして火をつけてさ、生臭いアルコールを飛ばすのよ」

 そう言うや社長は蓋をとり、ライターの火を湯呑みにすっと近づけた。すると、透明な火がぼおっと立った。それを見た社長は蓋をさっと元に戻した。

「こうやって初めて日本酒の旨味とあぶったふぐのだしの旨味が混じりあった最高のスープができるんだよ」

「それにしても、前田社長はたいした通なんですね」

「まあね」

 社長は軽く受け流したが、また鼻翼をうごめかせている。やっぱり、自慢したいときに出る癖なんだ。

「どれ、話はこれくらいにして呑んでみよう。うーん、腹にしみわたるな」

 社長は眼を瞑って満足そうに言った。


 そのあとも次々とふぐ料理がでてきたが、そのたびに社長は自分の知識を披露しつづけた。彼の話は人をあきさせることがなかった。

 そうこうしているうちに、ぼくは社長が太っ腹なうえにたいした文化人だとわかり、いよいよもって尊敬に値する人物に思えてきたのである。

 やがて最後のふぐ雑炊がきた。 ぼくがそれを一気にかきこみおわったときだった。

「どうだ、げっしんちゃん」

 社長は満を持していたかのように身を乗り出してきた。

「ぼくのところで働いてみる気はないか?」

「ありがとうございます。是非お願いいたします」

 ぼくは即答した。もはやなんのためらいもなかった。

「そうか。それは嬉しいなあ。君の力がほんとに必要なんだよ。げっしんちゃん」

 そう言って、社長は心底嬉しそうに笑った。

「それじゃ、さっそくだが来週の月曜日、朝九時に事務所に来てくれないか。住所は名刺に書いてあるところだからね。ぼくはこの日は用事があって行けないが、編集長にはよく話をしておくから」

「わかりました」

「ふ、ふ」

 社長はまた鼻にかかった声で笑った。

| 第1章1 ふぐさしの誘惑 | 10:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈(再)7
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第一章 玄丈先生との出会い
2 編集長との面接(1)

 四日後の朝、ぼくは久しぶりに濃紺のスーツに赤いネクタイできめ、勇んで出かけていった。

 前田社長の「明日の企業社」は、渋谷から青山に向かう大通りの裏手にあるはずだった。だが、お目当てのビルはなかなか見つからなかった。時間がかかったのは、ぼくが方向音痴だからではない。立派なビルを想像していたのに、予想に反してひどく老朽化した小さなビルだったからである。

 ようやく見つけたのでほっとし、さて四階の事務所までエレベーターで行こうとしたところ、このおんぼろビルにはそんなしゃれたものは備わっていなかった。

 仕方なく階段を上がって四階にたどりつくと、「明日の企業社」と書いてある小汚い看板がかかっているドアが眼に入った。ドアは一面グレーのペンキで塗られていたが、長いこと手入れもされずに雨ざらしのままらしく、あちこちペンキがはげて、錆びた金属がむき出しになっていた。

 ぼくはだんだん心配になってきて、ここに来たことを後悔しはじめた。それでもせっかく来たのだからと思い直し、恐る恐るドアをノックしてみた。

 だが、中からの返事はまるでない。そこで、今度はもっと強くノックをしてみたが、それでも反応がない。こうなったら意を決するしかないと思い、不安を振り払うように、勢いよくえいとドアをあけた。

 すると、眼の前にあったのは、なんと四畳半あるかないかの、狭くてうすら寒い小部屋であった。驚かされたのは、それだけではない。ふたつずつ二列に並んで置かれている四つの事務机が部屋を眼一杯占拠しているため、人間が移動するスペースはほとんどないに等しいのである。

 部屋には四人の男たちがいたが、あまりの狭さに、息をするのさえ遠慮しているようで、身じろぎもせず、音もたてず、うつむいたまま机に向かって作業をしていた。

 しばらくして、後列の机に座っている男がやっと顔をあげた。

「なんの用?」

 男は、見られたくないものを見られた、というような顔をしている。

 何を言っているんだ。ぼくは前田社長から頼まれてここに来たんだぞ――そう言いたい気持ちをぐっと飲み込んで、ぼくは答えた。

「月田槙太郎と申します。前田社長のご紹介でまいりました」

「ああ、月田君ね。聞いています」

 男はまったく関心がないような顔で言ったが、それでも話が前田社長から通っていることを知り、ぼくは少しは安心した。

| 第1章2 編集長との面接 | 09:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈(再)8
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第一章 玄丈先生との出会い
2 編集長との面接(2)
 
「編集長の細野です」

 男はぼくに向かって自己紹介した。

「ここでは狭くて話もできませんから、下の階の喫茶店に行きましょう」

 たしかに、ここでは立ち話すらできそうもない。

 編集長は四十前後であろうか。背は高かったが、名前のとおりヒョロリとした男で、首は鶴のように細く、顔はカマキリのような逆三角形をしていた。かけていた度の強い分厚い眼鏡が、男の顔を実物以上に陰気に見せていた。

 そういえば、このような人間の雰囲気はどこかで覚えがあるぞ。そうだ、胃潰瘍をわずらっている知人がこんな感じだったな、とぼくは思い出した。

 促されるようにして階下の喫茶店に行くと、そこは何十年分ものタバコのヤニがしみついているような臭いのする店だった。

 席に着くと、黒いスカートに白いエプロンをつけた二十すぎのウェイトレスがすぐ水をもってきた。

「いつもの?」

 女は編集長の脇に立って甘えるような声できいた。

「ああ、ホットミルクだ」

 編集長は女の方には眼もやらず、前を向いたまま表情を変えずに答えていた。だが、彼の右手が女の尻をひと撫でしているのをぼくは見逃さなかった。

 ウェイトレスが去ると、編集長は背広の胸ポケットから小さな包みを取り出して開いた。そして、中に入っていた粉薬らしきものを口の中に放り込み、コップの水とともにごくりと飲み込んだ。ぼくは、いよいよこの男は胃潰瘍もちだと確信した。

 間もなくしてホットミルクが運ばれ、それを一口すすると、編集長はようやくぼくの存在を思い出したかのように口を開いた。

「前田から仕事の内容は聞いていますか?」

「はい、対談の準備をしたり、お客さんのお世話をしたりする仕事だと聞いています」

「それは手間が省けました。それで……」

 編集長はぼくの視線を避けるように眼を下に向けた。

「給料は月十万ですが、いいですね?」

「なんだって!」

 ぼくは口の中で叫んだ。家賃を払ったらほとんど残らないじゃないか。バカを言うのもほどほどにしろ。そう考えたら、思わず言葉が出た。

「先日、前田社長には是非頑張ってほしいと言われました。私としてはもっと期待されていると思ったのですが」

「あっ、前田がね」

 編集長はそう言うと、わざとらしくあらぬ方を眺めた。

| 第1章2 編集長との面接 | 10:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP
整体師 諸星玄丈(再)9
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第一章 玄丈先生との出会い
2 編集長との面接(3)

「前田社長のお話をうかがって、私は心意気に感動したんです」

 編集長をこっちに振り向かせようとして、ぼくは前田社長の名前をわざと出してやった。すると、

「前田は肩書きだけの役員です。仕事は全部ぼくの方でやっているんです」

 編集長は眼をぼくの顔に戻して、真顔で言う。

「嘘だろう」

 ぼくは心の中で呟いた。どうしても編集長の言うことは信じられなかった。

「何か契約書のようなものをとり交わしましたか?」

「いえ、特にそういうものはありません。ただ、前田社長からはすごく期待していただきましたので……」

「ふーん、しかし、それだけではねえ」

 結果を見透かしたように、編集長はにやりと笑った。

 たしかに、あの席ではそういう細かいことは何も取り決めていなかった。しかし、あれだけ前田が熱心に誘ってくれたではないか。ぼくは編集長の態度に腹が立ち、何もかも馬鹿馬鹿しくなった。

「わかりました。もう結構です。ここで働くのはやめさせてもらいます」

「そうですか……」

 編集長の唇になぜか冷たい笑いが浮かんだ。

「……せっかく来てくださったのに残念ですな。まあ、縁があったらまたお会いしましょう」

 ふん、何が縁だ。二度と会うものか。そう思って席を立ち、喫茶店の出口に向かって歩きだすと、編集長が背中から声をかけてきた。

「ああ、そうそう。月田さん。割烹由田から請求書が届いていますよ」

 思いがけない言葉に、ぼくは行きかけた足を止めて、振り向いた。

「割烹ですって? 覚えがありませんが。何かの間違いではありませんか?」

「いえ、ちゃんとあなたの名前が入っていますよ。月田槙太郎さんでしょ」

 不審に思って請求書を見ると、それは前田社長とふぐを食べた店だった。請求金額は七万円とある。

「冗談じゃありませんよ。前田社長がご馳走してくださると言ったんですから」

「しかし、あなた宛てに請求書が来ていますからねえ。さっきも言ったように、前田は肩書きだけの役員ですから、ぼくの承諾がないと会社の金は使えないんですよ」

「そんなバカな話が……」

 ぼくは腹わたが煮え繰りかえってきた。こんなのは詐欺じゃないか。

| 第1章2 編集長との面接 | 10:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |↑PAGE TOP